2008年 08月 24日
食べること 生きること
前からぼんやり考えていることのひとつ。

同じ生き物として人間が動物を殺すことに対しての罪悪感と感情の矛盾。
私達が全てをコントロールしているように見えるけれど、果たしてその権利は私達にあって、それは合っているのか、とか。 動物に対しての尊厳の気持ちがあるのだけど。 数をコントロールのために殺すことへの罪悪感、とか。

私は魚も好きだし、肉も好き。 動物も好き。 牧場で見かける牛や豚を見てかわいいとも思う。 とても矛盾している。  

こないだジェイミーオリヴァー(イギリス人若手シェフ)の番組でオーガニック食品をテーマに訴えていたひとつがたまごについてだった。

ある大手のたまごの販売会社の農場/工場見学の様子もうつっていて実態を知った。
全て100%内容を理解したわけではないので、もし間違えた情報があったらごめんなさい。

Cageとして売られている卵は安い。 鶏は身動きが出来ないほどのスペースに座り込み、ベルトコンベアーで流れているエサをつついては卵を産んでいる。そんな様子は機械化されていて気の毒だった。そんな一生を送る鶏たちにも憐れんだ。

Barn Laidは納屋で一応動き回れる鶏の卵。 でも動き回るには限りがあるし、フンまみれの鶏達は太りすぎで足に負担がかかりすぎ、歩いてはコテンと体重が支えきれず座り込んでしまう。 そして確かフンまみれの足はアンモニアが原因でダメージをおう、みたいな事を言っていた気がする。 陽の光も十分に鶏舎に注ぎ込まれるか、というのも疑問が残った。

一番幸せなのはFree Rangeの放し飼いの鶏たち。 その分金額もあがるけれど、味の違いに納得する。 外で好きなだけ走り回り、日光を浴びて土をほじくり返し、幸せに違いない。 それなりの好条件を与えてあげて私達にも利益がある。 後ろめたさはない。

CleanFoodOrganicの本によるとオーストラリアでは毎日生まれたての1300万匹のヒヨコ達がガス死などで殺されているらしい。 理由はオスと生まれたばかりに商業利益が得られないから。(卵も産めないし)

生まれたばかりのヒヨコはベルトコンベアーに乗せられ、オスは専用の箱に分けられそのままガス死させた映像を見てジェイミーもそうだけど、私だってショックだった。

罪もないヒヨコ達は”商業”価値がないという理由だけのためにそのまま私達の判断によって切り捨ててしまう。 私達にその権利はあるのか? 生まれてピヨピヨと一言も鳴かずに殺されてしまうものもいるでしょう。 それはあまりにも酷ではないのか? でもヒヨコだけを例えに訴えるのは矛盾している。 

そして無事”合格”したヒヨコ達はそのままベルトコンベアーに乗せられ、Cage組に分かれたり、Organic Free Range組に分かれたり一生が決まるのです。

例えば、肉工場で動物を殺す映像など見せられたら「それはあまりにも酷でしょう」と思うはず。 でもね、実際には食べているし。

最近は買い物に出ると、商品を手にして少し考える。
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by pandysan | 2008-08-24 15:57 | つぶやき


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