カテゴリ:つぶやき( 26 )

2008年 11月 15日
芋の存在
米から芋に移行した食生活

日本人として、いつもおいしいお米をおいしく炊けた状態で食べていた。
白いご飯がとてもおいしいものだから、実家では毎晩2杯はご飯を食べていた。

留学時代はレンジで炊けるプラスチックコンテナで炊いたり、鍋で炊いたりお米から離れた生活もそんな苦ではなかった気がする。

ブリスベンに来た当初、とりあえずいつか良いものを買うためにまずは手頃な$60くらいの炊飯器を買った。オントオフのカチッと押すボタンは1つしかない。炊き上がったら節電に炊飯器の電気を切り、蒸すために15分置いておく。

4年も使っているけれど壊れることなく炊き続けてくれるこの炊飯器に今は愛着さえ感じる。

今度うちの炊飯器の写真を載せることにして、きっと日本のみんなは驚くに違いない。ほんとにボタンが1つしかないんだから。

日本にいた時は肉には必ずご飯、だった。レストランでも。
時に気分でパンを注文することもあった。

むかーし、アメリカ人の友人数人でレストランに行ったら彼らはステーキ単品とフライドポテトを頼んだ。その時はフライドポテトの存在はスナック的なものであり、ハンバーガーと一緒のときだけ頼むものだったから、「何で肉にポテトなんだろう?」と不思議でしょうがなかった。

それが今。
オーストラリア、肉の付け合せにはポテトです。(もしくはサラダ)ポテトにもいろいろあって、マッシュポテト、チップス(フライドポテト)、ベイクドポテト with サワークリーム、ローストポテトあたりかな。
今ではうちもメインの付け合せにマッシュポテトかローストポテトになりました。昔は絶対白いご飯がお肉には恋しくなったのに。

逆に和食の時はやっぱり白米です。キムチとか納豆とか、ね。

でもね、日本に戻ったらやっぱり白米の魅力には勝てないと思う。

最近の発見は、ポークにはアップルソースが美味いということ。同僚の真似で赤ちゃん用のリンゴのペーストの瓶を使いました。
塩コショウしたポークを両面しっかり焦げ目がつくまで焼いたて、ニンニクのスライスを加え、赤ワインとマッシュルームを少々入れて少し蒸し状態にするとおいしい。ちょっとしたソースにもなります。肉の上にアップルソースをたっぷりつけて食べるとこれまた美味い。
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by pandysan | 2008-11-15 18:03 | つぶやき
2008年 09月 30日
うごくとき
友達が今日から日本へ里帰り。

「おばあちゃんが元気なうちに会いに行ってほしいなぁ」と言われた母の一言に
「帰ろうかなぁ」と気持ちが揺れている。

12月~1月のスクールホリデー期間に少し帰ろうか。

2年振りになる日本の帰国で一番驚くのは多分、周りがちっちゃいアジア人だらけ&
細身の体で忙しそうに歩く忙しい街、じゃないかな。

いつも日本に戻ると独特のイライラ感が出てきてオーストラリアに戻るたびにその気持ちが
消える。

日本に戻ると時間に追われせっかちな自分が戻ってくる。

オーストラリアではバスが1時間遅れても誰も文句言わないで普通に乗り込むし、
スーパーでレジ係の人がちんたらしていても誰もイライラしないのにね。

こないだ同僚がタロットを持ってきたのでカードをひいて占ってもらった。

どうやら年上で過去より私に力強い人がついているらしい。
私の人生導いているのか導かれているのか、困難なときには救い手も現れる。
やはり私には守ってくれている人たちがついているのかな。

転職をしようか現職でもう少し勉強しようか揺れている。
気持ちがまだハッキリしないのは正しい時期ではない証拠。

判断時に敏感に、気持ちに正直に、周りのメッセージを正しく素直に受け取って。

やはりまだ現職を完全に自分のものにしていないから、次のステップには
早いのかな。
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by pandysan | 2008-09-30 17:14 | つぶやき
2008年 09月 03日
厄年だったなんて
[母滞在中だったとき。ゴールドコーストのシェラトンホテルにて]

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厄年ゾーン(前厄~後厄)に自分がいるらしい、ということが先日の母との電話でわかった。

どうりで!

どうりで!

だからなんだ! と少し納得。 (けしてそのせいにしているわけではないけれど)

前回の厄年の時も何かいろいろあったんだよなぁ、と思い出す。
その時は初詣時にちゃんとお払いしてお札をもらったのでした。

最近特に、いや今の職に就いてからかな?それともブリスベンに越してからかな?
気づくと他人と比べて置いてきぼりにされたような気になったり、自分が劣っているような気になったり、孤独な気分になったりします。

人と比べるのはやだな、と思っても気づくとまた無意識に比べて落ち込んだりしています。

職場ではたまに周りと距離感を感じたり、からかわれてるのかな、とイヤな気持ちが残ったり、マネージャがその場にいないがために尻拭いをさせられたり、あまりhappyでない日が続いたりします。何で私だけこんなに忙しくて周りはおしゃべりして余裕があるんだろう、といつも思ってて何度かマネージャに交渉しても「Pandyだけが忙しいわけじゃないから。近くhelpがもらえるから」と言われたり。

運が下がっている時期なのかな、とも感じて何が起こってもそのまま受け入れることが解決策だよな、と帰りのバスの中で今日思いました。

良いことは容姿もsexyで上品で優雅でデキる上司が周りに多いので、身の振り方を盗んでいます。対応の仕方、とか。彼らの周りにいくと自分がちょっと緊張する感じです。
あんなふうに自分もなりたい。ぜひ、なってみせます。

忙しいことも日々複雑な問題が発生することもURGENTの仕事が多いことも全て経験で滅多にこんな環境の仕事もないだろう、と神様に感謝。

今学んでいることは全て次の職へのステップになるわけだから、喜んで受け入れましょう、神様この機会をありがとう、と今日はそんな気持ちで考えられるようになりました。

Yeah! 厄年万歳!

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by pandysan | 2008-09-03 16:48 | つぶやき
2008年 08月 24日
食べること 生きること
前からぼんやり考えていることのひとつ。

同じ生き物として人間が動物を殺すことに対しての罪悪感と感情の矛盾。
私達が全てをコントロールしているように見えるけれど、果たしてその権利は私達にあって、それは合っているのか、とか。 動物に対しての尊厳の気持ちがあるのだけど。 数をコントロールのために殺すことへの罪悪感、とか。

私は魚も好きだし、肉も好き。 動物も好き。 牧場で見かける牛や豚を見てかわいいとも思う。 とても矛盾している。  

こないだジェイミーオリヴァー(イギリス人若手シェフ)の番組でオーガニック食品をテーマに訴えていたひとつがたまごについてだった。

ある大手のたまごの販売会社の農場/工場見学の様子もうつっていて実態を知った。
全て100%内容を理解したわけではないので、もし間違えた情報があったらごめんなさい。

Cageとして売られている卵は安い。 鶏は身動きが出来ないほどのスペースに座り込み、ベルトコンベアーで流れているエサをつついては卵を産んでいる。そんな様子は機械化されていて気の毒だった。そんな一生を送る鶏たちにも憐れんだ。

Barn Laidは納屋で一応動き回れる鶏の卵。 でも動き回るには限りがあるし、フンまみれの鶏達は太りすぎで足に負担がかかりすぎ、歩いてはコテンと体重が支えきれず座り込んでしまう。 そして確かフンまみれの足はアンモニアが原因でダメージをおう、みたいな事を言っていた気がする。 陽の光も十分に鶏舎に注ぎ込まれるか、というのも疑問が残った。

一番幸せなのはFree Rangeの放し飼いの鶏たち。 その分金額もあがるけれど、味の違いに納得する。 外で好きなだけ走り回り、日光を浴びて土をほじくり返し、幸せに違いない。 それなりの好条件を与えてあげて私達にも利益がある。 後ろめたさはない。

CleanFoodOrganicの本によるとオーストラリアでは毎日生まれたての1300万匹のヒヨコ達がガス死などで殺されているらしい。 理由はオスと生まれたばかりに商業利益が得られないから。(卵も産めないし)

生まれたばかりのヒヨコはベルトコンベアーに乗せられ、オスは専用の箱に分けられそのままガス死させた映像を見てジェイミーもそうだけど、私だってショックだった。

罪もないヒヨコ達は”商業”価値がないという理由だけのためにそのまま私達の判断によって切り捨ててしまう。 私達にその権利はあるのか? 生まれてピヨピヨと一言も鳴かずに殺されてしまうものもいるでしょう。 それはあまりにも酷ではないのか? でもヒヨコだけを例えに訴えるのは矛盾している。 

そして無事”合格”したヒヨコ達はそのままベルトコンベアーに乗せられ、Cage組に分かれたり、Organic Free Range組に分かれたり一生が決まるのです。

例えば、肉工場で動物を殺す映像など見せられたら「それはあまりにも酷でしょう」と思うはず。 でもね、実際には食べているし。

最近は買い物に出ると、商品を手にして少し考える。
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by pandysan | 2008-08-24 15:57 | つぶやき
2008年 08月 17日
macro
macro

Victoria, NSWに店舗を持ち、マーケット兼オーガニック商品も扱う。デリ、カフェ、肉屋も全て揃っているみたい。

ブリスベンにも出来ないかなぁ、と思っていたらやっぱりリクエストが寄せられているようで来年前半にブリスベンとG.C.にオープンされる!?

so excited:)
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by pandysan | 2008-08-17 10:37 | つぶやき
2008年 07月 28日
何を基準にするか
Ku:nel、気になっていたこの雑誌を日本の中古で買って送ってもらった。

川合花子さん、という方の記事に「なるほどねぇ」と感心した。早速ノートにその言葉を書き込んだ。

戦争を体験し、旦那さんが事業を失敗し破産、70を過ぎてからガンの大手術もした。旦那さんは既になくなり、88歳の今もとても活力に満ちている。

こんな体験をしている花子さんだけど、彼女の言った言葉で「価値観」と「物事の基準」について考えさせられた。以下花子さんの言葉を引用させていただきました。

「そういえば自分を憐れんで泣いたことって一度もないわねえ。 大体、不幸せを感じるのは”幸せであるためにはこうでなければならない”っていう決め付けで自分を思い込むからでしょう? 思い込みや囚われから自由になったら、人生ってけっこう面白いものよ。 なあんていう私も、へんてこりんなのかもね」

なるほど。

何かに基づいて「幸せ/不幸せ」「金持ち/貧乏」「恵み/憐れみ」etc はかられるのだけど、どこにどう基準を持っていくかで気持ちは変わる。

自分が辛くなるか、楽になるか、ダメになるか、伸ばせるのか、それもヒントは花子さんの言葉にあるんだと思う。

「あぁ、もうダメだ」と自分を哀れんでハンドル持ちながら操縦不可能になるんじゃなくて、「今は学べって事ね」とか何とか思い直して、こんなときこそハンドルをしっかり握って操縦しなくちゃいけないのかも。

たまたま、先週仕事の量が多すぎて、周りの同僚と比べてどうしてもフェアじゃない気がして悔しさとストレスといろんな感情が混じって、職場でエーンと泣いてしまった。

「悔しい」と取るか、「フェアじゃない」と取るか、泣いたときのどこかで「あぁ、私は不幸だわ」と思ったと思う。

でも、きっと花子さんに言わせたらそんな私は笑われてしまうかも。

もっと自分を自由に伸ばしていくために気持ちの入れ替えをしていこう。

川合花子さんはこんな人
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by pandysan | 2008-07-28 13:51 | つぶやき